DETOUR AHEAD

If you don't know where you are going, any road will lead you there.

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メモ

―「運」が良いとか悪いとか、ツキを呼び込むとか何とか言うけれど、それが最近、前にイメージしていたものとは全然性格の違うものなんじゃないかと思うようになった。それは実感としては「なんだかラッキー」なものかもしれないが、結局はある特定の行為や心情に対するリターンなのではないかと思う。その因果関係がはっきりと特定できないために、「とりあえずこうしたら運が良くなる!(かもしれない)」とか、その人の意思や努力とは関係ないとかいう話が出てくるのだろう。確かに個人の意思や努力と、その個人につく運は関係ないのかもしれない。ではなぜ、運を良くするとかしないとかいう話になるのだろうね。「あの人はたいした努力もしてないのに運がいい」とか。「運」とは世の中のどうしようもない不平等とか偶然性とか、不条理な出来事に折り合いをつけるためのアイディアなのか。

―男の女に対する「結局女にはかなわない」という言葉。それである程度のやんちゃやかっこつけは許容してしまえるように差し向けられる。ひねくれていると言われればそれまでだが、実際そういう口止め的なプレッシャーを感じている人はどれくらいいるだろう。賞賛はときに抑圧する力として働く。人は褒められると、けっこう何も言えなくなったりする。

―自分についての一貫性なんて意識して保つほどのものではないと思ってきたけれど、最近はどれが本当の自分でどれがニセモノということもないのだと思うようになった。「私」はわたしが思っているほど自らの意志の力によって支えられているわけではない。文脈によって、ころころ変わる。それでいい。ただ、すっぴんの自分というのはあって、それにどの程度近いか遠いかということはある。でも、だからといって他人の前で繕っている自分が「ニセモノ」であるということはないと思うし、常にホンモノの自分でいなければならないというのも、うさんくさいと思う。

―「そうは言っても・・・」ということばが理解できるほど年をとってしまったことに、少し悲しくなる。人の生は複雑だ。単純明快に見えるような私の人生においても、周囲はいつもそれなりに騒がしい。たぶんそう、思っていてもできないことはあるだろう。でも、大嫌いだったその言葉をきいても、「ああ、そうだねそんなこともあるよね、仕方ないよね」と言えるようになった自分に、若干のやさしさと若干の嫌悪感を覚える。「そうは言っても、にんげんだから・・・。」それがほんとうなら、私は人間でなくていい。そんな人間になりたくない。本気でそう思っていたのは、ついぞ3年ほど前のことである。このあきらめと正当化、そしてほんのわずかな暖かさと希望をたずさえたこの言葉を、自分に対しても口にする日がいつか来るのだろうか。

―なんと言われようと小難しいことを書き続ける!












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  1. 2010/07/28(水) 23:34:58|
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