DETOUR AHEAD

If you don't know where you are going, any road will lead you there.

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朝起きてカーテンを開けたら、いつもの庭が違って見えた。こないだは雹が降ったのだけれど、いよいよ雪になった。それにしても寒い。とっても寒いのだけれど週末に済ませなければならない用事があるので頑張ってセントラルロンドンへ。Oxford Circusでバスを降りたらものすごい雨。用事を済ませてちょっと雨宿りしたあとKarenと落ち合ってランチ。辛いトリの足?の専門店だったみたいだけど限りなくファーストフードに近い感じで、たぶんそこへはもう行かないよね、などと話しながら晴れてきたところでピカデリーへ。途中マニキュアを買おうとブーツとスーパードラッグに寄る。どちらも同じメーカーを扱っているのに、なぜかスーパードラッグには黄色いマニキュアが置いてない。合計5件くらい調べたけどやっぱりブーツにはあるのにスーパードラッグには置いてない。チャリングクロスのスタバでクリスマス限定のジンジャーラテを。トラファルガー広場のバス停でふるえながらバスを待って家に帰る。さむ~い中手も足も冷たくなって、でもあったかい光で満たされた家に帰ったときのなんとも言えない幸せ感は最高だと思う。週末ヘイスティングスに下っていたジルとニックはかえってきていて、洋介さんはジェニーとじゃれていて、ニックは夕飯の支度をしている。リビングから聞こえるテレビの音と、キッチンから漂うたべもののいい匂い。人の声。光。家中にこもった温度と湿度。すべて混じった蒸気が3階の私の部屋まで満たしている。温もりは限りなく蒸気のようなものに近いんだなあと思う。夕飯はニックがお土産に買ってきてくれたカレイのバター焼き。久しぶりにサーモン以外の魚を食べて感動。みんなワインを飲んでほろ酔いと、ジルのお気に入りのダンス番組と、不器用な黒猫と、いつもの週末。この世界に土曜日と日曜日があってほんとうによかったなんて思う。

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  1. 2008/11/24(月) 08:45:53|
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そうか

どうも日記を書けない理由がわかった。たぶん単純に、疲れてもう眠くなるまで活動して、そのあとに一日のまとめを書こうとしているから書けない。眠くなる前に日記を書けばいいのだけどなぜだろう、それができないのは。とりあえずメモだけでも残すことにしよう。

水曜日 フィールドワーク下見
木曜日 SAS発足
金曜日 フィールドワーク(ロンドンオリンピックサイト+国会広場)
      ジュネーブのパーティ(CS&Art)
土曜日 リーディング、映画『ポロック』
  1. 2008/11/23(日) 08:48:42|
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Forget me not

日々は簡単に風化してしまう。今日私の身の回りで起こった小さな出来事たちは、歴史にすらならない。些細な「ひだ」は風に吹き飛ばされてそれっきりだ。最近私はなんだか一種の無時間を生きているように感じる。無限に引き延ばされた、二度とこの世に出現することのないだろう一日。陽が昇ってから沈むまで、確かに時間は流れている。例えばそう、私が生まれたときから今までずっと時は流れている。ものごころついたときから、私の人生に何があったのかはちゃんと覚えているのだけれど、その時その場所に確かに私はいたのだけれど、すべての記憶はすぐに今ここにいる私にリープしてしまう。そして私の今ここは、絶えずどこかへリープしていく。奇妙な感覚。私は分からなくなる。今私がどこにいて、何をしていて、自分が誰なのか。わたしはもうずっと前から生きているような気もするし、そんなことはあり得ないのだけど今突然この世に出現したかのようにも感じるし、未だ存在したことがないような気もする。ある友人は自分が誰なのかなんてあんまり考えないといった。対称的に私はたぶん、少なくとも今まで、自分を考えることで生きのびてきたのだと思う。久美子という名前を与えられた人間が一体誰なのか。一体どこで何をしているのか。何をしてどこにいくのか。それは彼女にかかわる人々にとって、どういう存在なのか。彼女の愛する人々にとって、彼女は何なのか。自己反射的な鏡。彼女は変わっていく。それとも、世界が変わるのだろうか。

ともかく私の書き残すわずかなトレースは明日のわたしを支えるかもしれない。それはひとつの希望だ。支えることはあっても、縛り付けることはないと思う。ものごとは今やとても素早く、更新されてしまうのだから。近頃ふたたびよく頭をよぎるわすれな草のイメージが何をあらわしているのか、私はようく分かっているような気がする。だけどうまく言葉にできない。ただ、ものごとはものすごい速さで押し流されていってしまうこと、そしてたぶん私はそれをすぐに忘れて(何がというより、きっとそれがすでに押し流されてしまったことすら忘れて)、二度とそれを取り戻すことはできないだろう。大切なこと、本当に重要なことはいつも更新されつつこの身に残っていくと思っていた。それがいつかの私の純粋な成分になるのだろうと思っていた。でも、そうじゃない気がする。自分の記憶力に信頼をおけなくなった今、わたしは何かを書き残したいし、たとえばそれが論文などを書くのにいったん寝かせて淘汰を待たなければならないものでない限り、それがいかにくだらなくて、些細で、小さなことでも、わたしはその出来事のための言葉を探したいと思うようになった。わたしの毎日のためのことば。そのためには、日付けが必要だ。できるだけ(客観的な、)共有できる時間の尺度。そして私をつなぎとめるあのわすれな草のような言葉が。

  1. 2008/11/20(木) 08:03:15|
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