DETOUR AHEAD

If you don't know where you are going, any road will lead you there.

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書いたことはすべて忘れてしまおう

私をひとつに統一しようなんて、そんなことしなくてもいいと分かった。そこらじゅうにたくさんの私がいて、それはまるでひっくり返されたおもちゃ箱のように、そこらじゅうに散らばっている。ひとつひとつに触れるたび、いろんな音が鳴る。いろんな気分になる。いろんな肌触りがする。やさしい気持ちや、とげとげの気持ちや、怠ける気持ちや、つまんない気持ち、愛する気持ち。めまぐるしいスピードで変わる気分に振り回されてた。まわりから、私はどんなふうに見えているだろう?だれが一番すぐれているだろう?だれがもっとも愛されているだろう?そんなことばかり考えて、本当に自分と向き合ったことがなかった。自分の悪いところや弱いところと対話してみたことが。私はいつもどこか、不自然なのだ。それで身近にある宝物にも気がつかなかった。何かにこだわったり、何かを大切にしたいと思ったら、離れられなくなるような気がしていた。いつも何かから自分を引き離していること、その適切な距離というものが、昔からよく分かっていない。与えられたものがすべてだということも、すべてが与えられているということも、認められずにいた。私はいつもどこか、不幸なのだ。変わりたいと願い続けて、変われなかったこと。




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  1. 2010/01/30(土) 18:10:01|
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部屋の暗いののせいにして、怠けている。一昨日ロンドンに戻ってきて恒例の時差ボケだ。奇跡のような早朝に目が覚めてしまう(といってもそんなに早くはないが)、それは間違いなく時差ボケの症状である。そんな早寝早起きの健康な生活を続けられたらいいのにと思うけれど、惜しいことに長くても2週間しか持たない。そのあとはなし崩しにフクロウの生活にはまり、次に時差ボケするまでなかなか抜け出せないのである。

会えた人、会えなかった人、いろいろと今回の帰国で気づきがあった。それはまだ素直に私のものになっていないのだけど、自分の方向性を決めていくような感じがした。ひとつは、私は数年前に新鮮な出会いや仲間やその他何か言葉にならなかったことを求めて海外に出たのだけど、私の探していたものはすでに、多感な?時期を過ごした少女?時代に与えられていたのではないかということだ。日々しょうもない焦りや苛立ちや、人との摩擦、強がったり、理由もないのに意地悪したり、本当は好きなのか嫌いなのかっも実はよく分かっていなかった頃。たとえばそういうものが詰まった教室に、学ぶべきことはすべて用意されていたのかもしれない、と。そこから実際何を学ぶことができたのかは、もう覚えていないけれど。そこで学び損ねたことを、学ぼうとし続けている。それともなければ、なにかもう一度学ぶために、過去を顧みるのかもしれない。ずっと私は作文が得意だと思っていたから、言葉に不自由したことなんてないと思い込んでいた。でも、うまく伝えられない気持ちや、コントロールできない怒りや悲しみ、妬みや恥ずかしい気持ちがたくさんあったこと。大人になって、自分の気持ちが素直に伝えられない、私どうかしちゃったのかしらなんて思っているのは、実は今に始まったことではなくて、言葉にできない気持ちや自分の意思ではどうにもならない自分がいることを、今まで知らないふりをしてきたからだ。

人間はときにどうしようもなく生きもので、お腹がすいたら食べないとエネルギーがなくなってイライラしたり情けなくなったりするのと同じように、ただ涙の止まらないときもあるし、誰かと一緒にいるのが必要なときもあるし、思いっきり走ったり歌ったり、八つ当たりしてしまうときもある。理性とか道徳とか自制とか、割と厳しい家庭で育つと、そんなことを忘れてしまうのかも知れない。インプット&メインテインすることにばかり気を取られて、アウトプットに行かずに、詰まってしまうのだ。入れたものは、消化して吐き出さなければならない。(吐き出されたものが実は不要なものだったからにしても。)中身がない(本当は書くべきことなんてない)ことを恐れているけれど、そもそも中身なんてものを想定しないほうがいいのではないか。媒介者としての私の感覚、その引き金を引くきっかけはいつも私のそとがわにある。私の気づきのうちの、たぶん半分以上が、「私」のそとがわにある。それからきっと、出したものも、私のそとがわにある。内/外という境界の意識は的外れで、中空構造じゃないけれど、私はからっぽで、むしろ周縁に私があるような気がする。または中心と周縁、そのすべてを含めて。世界は様々なものを交換する。私は単なる、通過点だ。もっと自分の考えることじゃなくて感じることを、認めてもいい。そのもやもやしたものを、なんでもいいからかたちにしてみようと頑張ったっていい。自分の気持ちをすごくぴったりな言葉に変換して伝えてくれる友達を尊敬している。








  1. 2010/01/24(日) 03:55:20|
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