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おくりびと

話題になっていた『おくりびと』がネット上にアップされていたのを発見して見てしまった。一言でいうと、泣ける映画。ひとつの作品としては、なんとなく尻切れトンボな感じが否めない。見終わったあとに考えたのは、「主役は誰だったのか?」・・・もちろん描かれ方としては、主役とその周辺の人々という明らかな位置づけがちゃんとあったのだけど、おくられていく人々、弔われる人々、つまり彼らもいつか必然的に誰かをおくったであろう人々、そのひとりひとりの存在の喪失が、この映画を成り立たせていたような気がする。しかし描かれていたのは確かに、おくられるのではなく、おくる側にいる残された者たちだった。お葬式でとり行われる一連の儀式は、やはり故人のためというよりは、残されたもののためのものなのだと改めて思う。

ややセリフの唐突さに違和感はあったものの、納棺師の仕事に慣れてきた夫に広末涼子扮する妻が「さわらないで、汚らわしい!」と言うシーン。または主人公の幼馴染が「まともな仕事に就け」というシーン。死=穢れであり忌み嫌われるものという伝統的なアイデアをあらわしていたし、死を取り扱う職業である納棺師に対する蔑みの目が描かれてたいた。しかし彼らの主人公に対する接し方は、実際に彼らが親しい人の死に触れることで理解あるものに変わっていく。でも彼らの心情の変化はたぶん、納棺師に対する姿勢の変化というよりは、死そのものに対する受容の過程の変化ではなかったかと思う。死が日常生活から隔離されている現代において、死は忌み嫌われ、避けられ、そして怒り、不安などを引き起こす。死は常に先延ばしになっているのだ。しかし体験されるはずだった死は、かならず誰のもとへもやってくる。それが自分のものであれ、他人のものであれ。そしてそれは、静かに受け入れるものになる。

この映画を見ていて気がついたのは、私は一度も、人間の死というものに触れたことがないということ。つまり死んだ人間の体に、触れたことがないということだ。例えばひとが死ぬということは、彼または彼女がもはやそこにいないということ、そしてもはや動かないということなどから、少なくとも私の場合、とても視覚的な喪失が死なのだ。我が家の猫が死んだときも、鳥の死骸を公園で見つけたときも、せみの抜け殻さえも、私はそれに触れたくなかった。何かが決定的に、もはや生きていないものに触れるのを拒むのだ。冷たい体。さっきまで動いていた体。それがもう熱を持たないこと。冷たく、かたくなってしまうこと。そういう触覚的な死を体験することを、たぶん私は恐れているのだと思う。その命に触れられなくなること、それは本当に、記憶の中でさえ再生することのかなわない絶対的な喪失だ。


一番印象に残ったシーンは空っぽになった銭湯に夕日が差し込んで、火葬場のおじさんをひとりにしているところだった。



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  1. 2009/06/12(金) 07:23:16|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

死と詩

おっす。ブログ仲間のたくです。元気?ブログ再開したんだね。俺はこの映画は見ていないのだけど、死に関することばがいいね。なんだろ、死に触れる。日常の中でそれは激しい動揺を生み出す。最近、猫の死ぬ瞬間を見てしまって、しばらくショックで動けなかった。最近「死と詩を側に置いておかなければ」と思うようになった。それは簡単なことではないけれど、それは生をより力強くしてくれる。それにしても映画よくみてるなあ。
  1. 2009/06/12(金) 11:13:46 |
  2. URL |
  3. TAKK #-
  4. [ 編集]

おっす、ブログ仲間のたくちゃん。元気だよ、たくちゃんはどう?何か特別な理由があって見てないのかい?(ちなみにveohで見られるようになってたよ)最近、たくちゃんが猫の死ぬ瞬間を見てしまった記事を読んで、私もそのショックからしばらく抜けられませんでした。日常に溢れてしまっているものと、死と詩をいったいどうやって結びつければいいのだろうね。そのお互いの非浸水性に戸惑うよ。

映画ねー、あんまり好きじゃないから見ることにした。たくちゃんの映画ことばのほうがイケてる。でも頑張るよ、たまにのぞきにきてね。
  1. 2009/06/14(日) 19:55:21 |
  2. URL |
  3. kumi #-
  4. [ 編集]

そうか。あの記事見てくれたのか。嬉しい。あれはぜひとも誰かに届けたかったのだ。死と詩は本当に「非浸水性」という言葉が相応しいほど、日常とどちらかしか選べない。水に浮く油のようだよね。それを忘れないように心がけねば。難しいことだけど、詩/死を生きないと。「おくりびと」を見ていない理由は特にないのだけど、ただの怠慢と日本映画が苦手なだけですw。ぜひ見てみたい。ブログ両方、更新楽しみにしてますね。
  1. 2009/06/14(日) 23:06:38 |
  2. URL |
  3. TAKK #-
  4. [ 編集]

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