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冬休みの読書

冬休みという言葉を口にするのももうはばかられるくらい時のたつのは早いもので、1月もあっという間に終わってしまった。気がついたらもう2月も半ばにさしかかろうとしている。一日が終わるのって本当に早いなあと思う。

ところで、冬休み日本にいる間に読んだ本の中から、とくに面白かったものをここに書いておこうと思う。読んだというかチェックしたというか、斜め読みが多くなってしまっているこの頃では、自分に必要な情報のみを引き出して終わりにしてしまうことがほとんどだ。小説も、詩も、本当に読むにはそれ相応の時間というものが必要だ。いろいろな読書の形態があるにはあるけれど、本当に本を読むということは稀になっている。私の中では、時間のたつのも忘れて、反論するのも忘れて、いちページいちページをめくりながら、活字と自分をリンクさせること。それが本当に本を読むということなのだ。

さてそれでは簡単に。要約は苦手なのでスキップしてしまう。

まず『詩のこころを読む』/茨木のり子  

言葉が輝きすぎて作者の名前よりその詩のほうが強烈に心に残っているということがある。恥ずかしながら、茨木のり子もそういう詩人のひとりだった。つい最近、友人がフェイスブックで「自分の感受性くらい」という詩を教えてくれたときも、彼女の名前よりもそのことばがいつまでも思い出された。詩集を読んでみると本当に知っている詩が多いのだが、やはり詩人の紡ぐ言葉というのはすごくて、作者の名前よりも詩の響きとかことばの強さが心に残っているということは私でなくてもありそうではないかと思う。

『詩のこころを読む』では、茨木のり子の人生に寄り添ってきたであろうと思われる詩たちが、彼女の鋭い感受性でもって紹介されている。詩というものにひかれながら、どうしてひかれているのかとか、その詩がどんなイメージを喚起するのかとか、何か言葉でうまく説明できないようなものだとずっと思っていたのだけれど、彼女のことばにかかるとまるで「そう、それだった!」と言いたくなるような的確さでもって、いくつもの詩がもう一度心にせまってくる。なぜこの本と今まで出会わなかったのか不思議になるくらい、せめて高校生のときに読んでいたかったと思う。ぜひ全国の中高生向の推薦図書にしてもらいたい。

詩を読むには、いろんな意味で時間がかかる。たった何行かで綴られたことばを心底味わうことができるようになるまでに、人はどれだけの時間を必要とするだろう。何かを「わかった」と言えるようになるには、常に謙虚でいなければならないと改めて思った。いわんや人の心に残るようなことばを生みだすをや。


2冊目は『サブリミナル・マインド』/下條 信輔

茂木健一郎?のメディア露出で一躍公共的興味を獲得したかに見える脳科学。それに認知・行動・神経科学。錯視や倫理の問題も活発に議論されていて、脳科学に関する著作もおびたただしいけど、ちょっとブームに遅れて興味を持ち始めたわたし。他にもいろいろ読んでみたけど、これは本当に内容のつまった重い文庫本という感じだった。究極的なクエスチョンはつまるところ、「人間とは何か」ということだ。感情、思い込み、自分の意思で選んでいると思っていること、それとはうらはらに無意識の深層に働きかけてくる情報の多いこと・・・

自分の持っている価値観や世界観を変えるのは、いつも哲学だと思っていた。数学苦手だし、「無限」とかゼロとかの概念には興味があっても、科学とかダーウィニズムとか、よくわからないと思っていた。でもそうか、科学も私の見ている世界をがらっと変えるんだなあと、そういうめまいみたいなパンチがあるものなんだなあとはじめて真面目に思った本。


そして最後に、『神話の力』/Joseph Campbell

残念ながら時間がなくて最後まで読めなかったから、今度帰ったらぜったい続き読もう!本。神話学者のジョセフ・キャンベルとビル・モイヤーズ(ジャーナリスト?)の対話/インタビュー形式になっている。たまに、この人はもしかしたら神様と話をしたことがあるのかもしれないと思う。物語の原型、それぞれヴァリエーションは違っていても共通して底に流れている通低音のようなもの。しきりに、河合隼雄がどこかで「にんげんの世界の源流には、かなしみが流れている」といったようなことを言っていたのを思い出していた。ものすごいスピードで進化しているように見える世界の中で、繰り返されてきた人間の物語がある。人は変わっても、繰り返されるストーリー。同じ悲しみ、同じ喜び、同じ悩み、同じたましいの経験。現代の私たちがしていることも、大きなスケールで見てみると神話に書かれていることとそんなに変わらない。

めっぽう歴史に弱くて、どこがどうなってこうなったのかよくつかめていない私も、現代のセレブリティ(歌手・役者、スポーツ選手)とシャーマンとか、クラブとか、ダンスとか、男女の役割とか、不条理な出来事とか、その他もにゃもにゃしたもの、そういうものを焦点をちょっとずらして見てみると、すごく大きな流れの中にいるのを感じられる。哲学者は哲学者で、ジャーナリストはジャーナリストで、占い師は占い師で、科学者は科学者で、芸術家は芸術家なのだ。




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  1. 2010/02/10(水) 03:43:04|
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