DETOUR AHEAD

If you don't know where you are going, any road will lead you there.

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時間損人間

夏休みが終わり、ようやく新学期も始まったものの超低速スタート。。体調が悪いのが長引きすぎて困りすぎている。もう3週間くらい風邪をこじらせてしまい、咳でなかなか寝付けなくて最終的に眠れるのが朝方4時くらいで、起きるのが結局お昼・・・「朝早く起きられないと一日損した気分になる」と言ってた友人の言葉は、その当時(学部生のとき)はまるで理解不能だったけれど、早起きすると午前中がとてつもなく長いということが分かってからは、寝過ごしてしまうと本当になんだか損した気分で一日をスタートしなければならないということがわかった。すなわち、最近損な気分ばかりである。

しかし、どうも昔から時間の効率的な使い方とは縁がない。時間にお得な使い方と損な使い方があるとしたら、私は損な使い方をしているほうが多いような気がする。そもそも、時間の区切り方が曖昧である。「一日」とか「一週間」とか、今やほとんどの人に共有されているはずの時間の単位がどうもしっくり来なくて、もっとこう、のっぺりとした、延々と続いているかのような流れのようなもの、切れ目のない平たいうどんのようなものがずーっと続いているような、、、私にとって時間はそういうふうに感じられている。要するに、時間というもの(ひいては自分の生活そのもの)を区切ったり制限をつけたりすることがうまくできないのだ。

そういうある意味「効率性」を無視したような無計画さは人生のプランにも影響していると見えて、そういう傾向によって研究職とか、そういう方向に導かれて来たのではないかと思う。(むしろ順序は逆で、長い学生生活によってそういう感覚が培われたのかもしれないけど)。しかし、実際には、なにごとにも制限がある。時間的な制約だけでなく、経済的、エネルギー的な制約もある。何の活動(空間における移動=出来事)もしないままでは、まさに損な時間の使い方を日々繰り返すだけだ。

と思いながらも、無駄な時間(無駄な時間が何かを言うのも難しいけど、たぶん非生産的な時間)を有益な活動で塗り替えていくのはとっても難しい。怠けたり、心が落ち着かなかったり、正当化したり、心配したり、躊躇したりしてしまうから。古来の哲学者たちがなぜあれほどまでに「時間」(と空間)という不思議なものについて論じ続けたのか。今ここにいる自分と、今ここにいない自分。命の制限。哲学というのはいつもとても身近なことから問いがスタートするのだけれど、時間がどれほどほんとに切実な問題なのか、それについて考える時間が一体どれほど重要なものなのか、そんなことを考え始めると、余計に今日何をしたらいいのかわからなくなる。













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  1. 2010/10/07(木) 21:39:12|
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